2016静岡サンタ隊を振り返る
<大津波に耐えて残った陸前高田の「希望の一本松」を見つめる2011年12月25日の長男>
帰ってきました! 3泊4日(うちバス車中2泊)の強行軍をものともせず、午前6時40分、静岡市駿府町の静岡県社協ビル(シズウェル)に、われわれ「2016静岡サンタ隊」は、1人の病人も脱落者もなく、帰還しました!!
到着時の「トナカイの着ぐるみを脱いだヒゲ面の寝ぼけ面の写真を載せてもなあ…」と思っていたら、ちょうどタイミングよくfacebookさんが、2011年の今日の投稿を見せてくれました。『過去のこの日』という便利な機能があるのです。
以下は、5年前の震災の年の2011年12月25日、当時小学6年生の息子たちと3人で参加した、記念すべき「第1回サンタ隊」の最終日の投稿です。。
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プレゼントはもらえなかったけれど、数え切れないほどのプレゼントを、被災地の方々にお渡しできたクリスマスでした。涙を流して喜んでくれたり、逆に干し柿やリンゴを渡してくださったおばあちゃんたちもいました。今日の陸前高田の8つの仮設住宅の訪問を終え、今晩静岡に帰ります。
連日、大きな声と無邪気な笑顔で一生懸命働いたコージくんが「やっぱり、ボクもプレゼントが欲しくなっちゃったな…。サンタさんが、家に届けておいてくれたのかな?」と私の目を見てニッコリ。すると即座にユージくん。「バカ!ここに来させてもらえたことが、最高のプレゼントじゃねえか!」。よくぞ言った。さすが兄だぞ! パパは書きながら涙出てきたぞい。
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5年の歳月は、長いようで短いけれど…。今思えばあっという間だったけど…やっぱり大昔の気もします。小6だった息子たちは、今や多忙な高校2年生。。「最初の2、3年は一緒にミカンやお菓子を配っていたんだよな…」としんみりしました。
5年の間に子どもはどんどん成長し、母も父も他界してしまいました。変わっていないのは、自分だけかもしれません。 いや! いまだに不自由な仮設住宅で、年の瀬を迎える独り暮らしのお年寄りたちの寂しさは、永遠に変わりません! 2年でなくなるはずだった仮設住宅に、今も大勢の独り暮らしのお年寄りが大勢暮らしている現実に悲しさと虚しさが募ります。。。
私は行政や政治家が「やるべきことをやっていない!」とは、口が裂けても言いませんけれど……被災地に限らず、現状を打開するための政策、日々の市民の生活のための施策は、すべて〝スピード感〟が命です! どんな立派な理念も構想も計画もお題目も…みんながもっともらしいことを好き勝手に主張して、足を引っ張り合ったり、邪魔をしたりして…いつも何も実現しないこと、前進さえしないことが多すぎます。。
全市民の代表である議員が、委員会や議場やブログの中だけで、一部の市民の代弁者のような「感情論」を展開したり…まるで部外者の評論家のような「一般論」や自分を高く売るために「建前論」を主張していては、議会への信用、信頼は地に墜ちます。
自分の目で現場を見て、耳で聴いて、自分の頭で考えて…困っている人、助けを必要としている人の小さな声をしっかり市の施策に反映させること。。そして、独自でできない大きなことは、県や国に何度もちゃんと掛け合って、実現させるための道筋を創る! 少しずつでも前進させていく! それが日本中の政治家の使命だと改めて確信しました。
暖かい静岡のクリスマスの朝、ヘロヘロになって帰宅したトナカイ親父に、起きてきた長男がプレゼントをくれました!
そういえば、写真左下の〝初孫〟ネロは、今日が2歳の誕生日です。