東京五輪のホストタウンは…
<招致委員会のこれまでの活動内容が淡々と記録されている報告書>
牧之原市の「2020東京五輪サーフィン開催地・事前合宿地招致委員会」第9回会議に、オブザーバーとして出席しました。
昨年12月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で、開催地は千葉県一宮市に決定。。米国と中国を事前合宿の候補国として政府に提出した「ホストタウン申請」も認可されず「保留」となっている現状の下……今回の招致活動を契機にした本来の狙いであった我が市の「沿岸部活性化計画」の構想の紹介の方に、担当者の軸足が完全に移ってしまっていました。
現実的には、そうなっても当然なんでしょうし、そちらの計画も早急に策定し、実現化を目指さなければいけないわけですが…昨年末から4回にわたる「沿岸部活性化意見交換会」での話し合いを見ても、3年後に迫った東京五輪と絡んだり、連携した事業やイベント等の構想は、参加者の頭の中にはもはや全くありませんでした。
昨年の今ごろの同じ招致委員会で突然、委員長である市長がぶち上げた市内民間業者主導による『ウェーブプール建設構想』を契機に、我が市の招致ムードと関係者の本気度は、一気に高まりました。ビーチクリーン大作戦やチビッコサーフィン教室など、市内のさまざまな団体や組織の老若男女を巻き込んだ海を舞台にした招致活動が行われました。われわれ市議会も16議員全員が参加した「サーフィン議連」を結成し…「招致祈念ポロシャツ」を作成し、2回の定例会期間中に議場で全員が着用したりして話題を呼びました。7月には熊本地震被災者への義援金募集を兼ねた「チャリティーコンサート」も行われました。
なのに、なのに…あれだけ、多くの市民や関係者が…市の一緒に、それぞれができる範囲で、実現を信じて頑張ったのに…関わってくれた人たち全員に対しては、いまだに今回の招致活動(…失敗)の説明、総括、そして検証結果の報告もされていません。。今回、初めて招致委員会の中ではこれまでの経緯と反省の言葉が並びました。そして、西原市長は「最初から『かなり無謀だ』と思われていましたけど、招致活動を通じて沿岸部活性化の話も深まりました。今は『せめてホストタウンは!』と思っています。これから頑張って、取りに行きます」と活動の継続を宣言しました。しかし…これまで1年間、招致活動を受け持ってきた担当部長と担当者1名が、新年度の人事異動で他部課に移ってしまいます。
市民に「無謀だ」と思われているのは、事前「合宿地の招致」そのものではなくて…まったく違う思惑とルートで、米国と中国にアプローチしていることです。日本政府から〝ホストタウン〟の称号と交付金が与えられるためには、申請前に「相手国の責任者と覚書(基本合意書)」を締結する必要があるのですが…現時点で、この両国とはいまだに…「どこの組織の、誰と覚書を結ぶべきか?」という話の入り口のところから確定していないからです。。
個人的には、いつまでも世界の2つの超大国にこだわらず…たとえささやかな〝おもてなし〟でも喜ばれ、ありがたがられるような、小さな国の代表選手をターゲットにすれば…お金もかからず、全市民が国際交流と五輪レガシーを体感できる身の丈にあった〝ほのぼの感〟あふれる事前合宿の物語が、実現するはずだ…と今でも信じています。
<昨年7月、市議会の『サーフィン議連』の発案で開催された「招致祈願チャリティーコンサート」では、参加者全員で気勢を挙げたのに…>