中村肇先生からの激励
【辻立ち15日目】今朝は、150号線の相良橋交差点で実施しました。
運転席から手を上げたり、クラクションを鳴らしたりしてくれる市民、後部座席から私の名前を絶叫してくれる子どもたちww が、日に日に増えてきてうれしいです!
そんな中、朗報です! 牧之原市の誇る歴史家の中村肇先生(70)が、私の「大石けんじ後援会」の副会長(相良地区)に就任してくださったばかりか、熱い熱い長文の「推挙状」を手渡してくださいました!
中村先生は、旧相良町の故中村福司町長のご子息で、郷土史の権威です。。田沼意次公を始め、多くの偉人や伝承、歴史書に関する著書を多数執筆されている有名な方です。
田沼塾やはりはら塾の講師としても長年ご活用されている牧之原市の文化、芸術、教育関係者では知らぬ人のない大御所から夢のようなご支援をいただき、不肖大石けんじ! 元気百倍、勇気凛々です!
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大石健司さんを推挙する…中村肇
牧之原市の西原茂樹市長が、市長選出馬を取りやめました。身体に問題の無い限り、少なくとももう1期は出来るとと思っていただけに残念です。市長のお話は時宜に合わせて面白く、この身動きの取れない財政の中、次々に話題を創り、牧之原市を県内は勿論、全国的にも知られた存在として、売り出すことにも成功しました。
私は平成19年3月、榛原高校退職後、田沼塾・はりはら塾で「郷土史」の講師となり、翌年には古代史の異説から取り組む「日本史」も開講しました。また田沼塾では平成23年から5年間「童話・伝説・昔話」も開講しましたが、大石健司さんの母上敦子さんはそのすべてを最初から受講してくれました。「童話~」は孫の晃司君と4年間、一緒に受講してくれました。
私にとってこの田沼塾・はりはら塾の活動は、今年で45年目に入った週3回の人工透析の間を縫っての活動で、体力的には困難もありましたが、郷土の偉人や先人の業績や日本の歴史に取り組めるのが生き甲斐でありました。敦子さんも晃司君も意欲的な取り組みで、2人で新美南吉の故郷・知多半島や東日本大震災で静岡県の「被災地支援後方支援センター」の置かれ、健司さんがそのサポートをしていた岩手県遠野市などに出向き、沢山の資料を私に提供していただきました。
大石健司さんは、その敦子さんと元榛原町長、県議会副議長の哲司さんのご長男であり、晃司君は、健司さんの双子の息子さんの1人であります。私は敦子さんの葬儀には弔辞を読ませていただき、一周忌の集まりには川根民謡を歌わせていただきました。
ご両親のDNAを受け継いだ大石健司さんの人柄の良さと、熱意と活動的な姿勢は、何よりも今の牧之原市に必要な資質です。早稲田大学在学中に海外に飛び出し、国際結婚されたように、組織としがらみに囚われることなく、明るさと前向きな姿勢を持ち続けてほしいものです。その若さと行動力で、最低3期は市政を担う気持ちで取り組んで欲しいものです。
大石健司さんも政治の道を志した以上、前職のジャーナリストの視点から、大局的立場に立って、この厳しい市財政を見直し、優先順位を議員、市民と共に考え、牧之原市全体の発展を目指して欲しいと思います。
ところで、再来年の2019年は田沼意次の「生誕300周年」の年です。郷土史家の後藤一朗(海堂)・川原崎次郎先生たちの努力もあり、田沼意次の評価も随分変わりました。この生誕300周年は、市民を挙げて祝うべきで、学習もし直さなければなりません。牧之原市域からは相良氏、勝間田氏を輩出し、相良荘・勝間田荘を包摂し、質侶荘・初倉荘の一部に関わります。
この歴史と文化の花香る牧之原市を、市民が誇れるまちにしていかなければなりません。市長自らも学ぶ姿勢が必要です。市会議員一人ひとりも歴史の伝道者であって欲しいと願っています。
原発の存在に委縮し、大地震と大津波に逃げ腰では、建設的な町づくりは出来ません。積極的に対応策を立て、その中で文化的な活動、生き甲斐のある生活をしたいものです。
気軽に気さくにお話のできる大石健司さんの当選を熱望しております。
元榛原高校教諭
若一王子神社他3社宮司
田沼塾・はりはら塾(郷土史・日本史)講師