反面教師・日馬富士
横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜部屋)が本日29日午前、日本相撲協会に引退届を提出し、受理されました。秋巡業中の10月25日に鳥取市内で同じモンゴル出身の幕内貴ノ岩(27=貴乃花部屋)に暴行し、ケガを負わせたことが明らかになったことで「横綱としての責任を取った」そうです。
不思議な話ですね? たとえどんな事情があろうとも、モノを使って傷害事件を起こしたら…この先、不起訴や起訴猶予になろうが「横綱として」ではなく「人として」責任を取らなければならないし、普通の会社なら〝懲戒解雇〟です。それなのに警察の対応が出る前に、容疑者が提出した引退届を協会が「断腸の思い」(八角理事長)で受理して、総額2億円を超える退職金と功労金が支払われるそうです。
引退会見では、暴行に至った経緯を問われ「弟弟子が礼儀と礼節がなってない時に、それを正して直して教えてあげることは、先輩としての義務だと思っています。僕が叱ったことで、彼が(今後)礼儀と礼節をちゃんとしていけると考えながらいけると思って(やったが)、行き過ぎたことになってしまいました」と仰天の返答。。この期に及んでも「行き過ぎて」ケガさえさせなければなければ「暴力は許される」という認識でした。
九州場所2日目までは土俵に上がっていたことを聞かれると…「新聞に出ることもその時は分からなかったので…。(10月)26日に彼が僕のところに謝りに来て、その時に『こうやって叱ってくれるお兄さんがいることに感謝しろよ! 気をつけてがんばれよ』と言って、握手して別れたわけですから。まさか事が、こんなに大きくなるとは知りませんでした」。。まさに「当事者同士では解決していたのに、貴乃花親方が騒いだから、辞めることになってしまった」という無念の思いを口にしたわけです。
当然、被害者の貴ノ岩に対する謝罪の言葉は最後までなし。「これから礼儀と礼節を忘れずに、ちゃんとした生き方をして、頑張っていってほしいと思います」と他人事のようにアドバイスしたのにも驚きました。
何から何まで〝ツッコミどころ〟満載だった引退会見でしたが…この件で改めて、明らかになったのは、日本相撲協会の『事なかれ主義』です。。これは…目の前で、解決すべき問題が発生しているのにもかかわらず、それを避けたり、あるいは見て見ぬふりをしたりして、係わり合いになるのを避け、 問題を放置したり、先送りしたりして、あわよくば責任を取らなくて済むようにする消極的な考え方です。
そしてこれは、何も相撲協会に限ったことではなく、残念ながら旧態依然の日本の社会や組織の至るところに蔓延しています。この牧之原市では、特に顕著です。
表向き、今回の日馬富士引退の決定的要因は…「刑事事件を起こした」からですが…本当は、しっかり解明しなければならない重大な謎がいくつもあります。
貴ノ岩らの高校のOB会の懇親会に、なぜ関係のない横綱3人が勢ぞろいしていたのか? 本場所前に、部屋も一門も違うモンゴル人力士たちが、頻繁に堂々と宴会をしている事実は、どうして問題視されないのか? そもそも日馬富士のいう〝礼儀と礼節〟とは何なのか? 横綱が激高して、カラオケのリモコンで殴りつけたくなるほどの大切なことなのか? なぜそれを会見で自ら説明しないのか? そして、どうして貴乃花親方は、八角理事長以下、今の相撲協会幹部に、あれほどまでに明確に楯突くのか?(=「理事長選挙の確執」という単純な見立てではなく…) などなどです。。
その真相は、現場にいる大相撲担当記者なら、みんな知っています。でも、彼らには書けません。安倍首相を前にした官邸番記者と同じですね。本当のことを知っているからこそ、「事なかれ…」と〝忖度〟してしまうのです。
『事なかれ主義』が極まると…日本の大人の社会では、話がこじれたり、まとまらなくなると、当事者間では「この話はなかったことにしよう!」といって、問題や話し合いの存在自体を「抹消する」ことがよくあります。。。日馬富士が「握手して別れたわけですから。まさか事がこんなに大きくなるとは知りませんでした」と嘆いたのは、このことです。
それが「戦いが終わればノーサイド!」という高尚なスポーツマンシップからならまだしも…「あの件は、お互いが『もうなかったこと』にしたじゃないか? 今さら蒸し返すなよ!!」「お前のせいだったんだから、ぐだぐた言うな!」という態度を取られては、殴られた方、傷付けられた方は、たまったもんじゃありません。
日馬富士の引退で、この事件を「一件落着」と幕を引くようでは、不祥事が相次ぐ相撲界の温床、体質の改善にはつながりませんが…この国や社会の大きな問題点をはっきりと浮き彫りにし、整理させてもらえたという観点から、私にとっては意義深い事件だし、これからも注意深く動向を見守っていきたいと思っています。
私たちにとって、横綱日馬富士と日本相撲協会は、最高の〝反面教師〟なのです。