勝間田氏と藤田氏
本日は、勝間田区の『勝間田城址538年祭』に参加してきました!
ご承知の通り、勝間田区には、平安時代末期から室町時代後期にかけての約400年間「勝間田氏」という豪族が君臨していました。さらに、14世紀後半にはこの地に勝間田城という山城があったのです。そして1476年(文明8)に、今川義忠に追われ滅亡してから…今年は538年!!というわけです!
ちなみに勝間田氏の一族は、この地を脱出して各地を転々とした後、大部分は富士山のふもとの印野(現御殿場市)に移り住みました。21世紀にの牧之原市には勝間田姓の住民はいませんが…御殿場市印野区には119世帯のうち76世帯が勝間田姓だそうです。そして現在、静岡県東部を中心に全国に散らばる「勝間田」「勝俣」「勝又」「勝亦」など、ほとんどすべての「カツマタさん」のルーツは、牧之原市なのですよ♪
勝間田区のみなさんが、半世紀以上続けている神事には、その御殿場市印野区の勝間田勲区長(66)ら、日本全国から約20人の「カツマタさん」も来場し、神妙に頭を下げて偉大な祖先を偲んでいました。
これだけ、伝統と由緒ある祭事が、勝間田区以外の市民には、ほとんど知られていないことを残念に思いました。これからは私が先頭に立って、勝間田城址を「この市の山間部の観光スポットとして、もっともっと盛り立てていけたらなあ」と思います。
一方、相良総合センターい~らでは、やはり牧之原市(細江区)の生んだ昭和の大作詞家・故藤田まさと先生を偲ぶ歌の祭典『第24回カラオケコンクール』が、大々的に開かれました。
藤田先生は、日本の歌謡界を代表する作詞家として「明治一代女」「大利根月夜」「岸壁の母」「浪花節だよ人生は」…などなど様々な大ヒット曲を手掛けた偉人です。そして、旧榛原町時代には町民全員が踊った「はいばら音頭」そして、牧之原市内の小中学校4校の校歌も作詞してくださいました。
そんな不世出の巨匠の遺影が掲げられたステージで、市内はもちろん県内各市町から実に74人の歌自慢のアマチュア歌手が集い、自慢ののどを競い合っていました。
夜には、藤田先生の生家近くの料亭で、「藤田先生を偲ぶ会」と、先生の愛弟子で今大会の審査委員を務めていただいた『日本音楽著作家連合』の志賀大介会長(作詞家)と四方章人理事長(作曲家)を囲んでの「懇親会」が開かれました。
古の豪士一族から戦後の偉人まで、日本の歴史に残る有名人を多数輩出した我が市の魅力を改めて実感した1日となりました。