感動の防災講演会
川崎区と静波区の共催による『防災講演会』に行ってきました。会場の「さざんか」は、両区の役員や防災担当者など150人の市民でいっぱいでした。関係者のみなさま、素晴らしい講演会をありがとうございました!!
講演会は2部構成で、最初は浜松市の聖隷クリストファー大学の助教授で、東日本大震災の起こった2011年当時は、牧之原市の職員だった若杉早苗さんによる『東日本大震災及び熊本地震の教訓:調査・報告の研究』という客観的事実を精査研究したわかりやすい御報告。。。そして後半は、未曾有の津波・原発災害に襲われた福島・南相馬市の市民病院で救命医療に死力を尽くした医師の太田圭祐さん(現愛知・安城更生病院脳神経外科医)による…『東日本大震災直後の混乱期に行った救命医療の実際 ~津波・原発災害と闘った南相馬の10日間~』という御講演でした。
東日本大震災から1カ月後に東北各地の被災地を訪れ、瓦礫撤去などの肉体派のボランティアをやっていた私は、被災地の悲惨な光景や悲しいお話は、実体験として脳裏に焼き付いているわけですが…超巨大地震の発生の瞬間、そして大津波来襲以降の死者や負傷者があふれる地獄のような市民病院での生々しい闘いの実体験を、今回初めて医療担当者の生の声で拝聴し、今までで一番の大変なショックを受けました。
あまりにも内容と向き合うべきテーマが多すぎて、とてもまとめられませんので…ご興味、ご関心のある方はぜひ…太田さんの『南相馬10日間の救命医療』(太田圭祐著・時事通信社刊)をお読みください!!(笑)
ちなみに…時事通信社による書評は、以下の通りです。
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東日本大震災と福島第1原発事故で、原発の北約10㌔から三十数㌔に位置する南相馬市は難しい判断を迫られた。大津波に放射能の恐怖が重なる中、救急医療を続けた同市立総合病院。その医師の一人太田圭祐さんが緊迫した現場を振り返り、震災・原発事故から見えてくるものを考察した。
同総合病院は原発から約23㌔離れた原町区中心部にある。表面的には日常の光景が既に戻っている地区だが、3㌔南に進んだ先の20㌔圏内は今も立ち入りできない。こうした特殊な環境が、病院と地域を翻弄(ほんろう)してきた。
震災直後からの病院の様子を著者は生々しく再現する。治療の優先順位を決める「トリアージ」を直ちに始めた。だが、自分が数人に「黒」(救命不能)のタグを付けたのは正しかったのか…。
放射能汚染が広がる可能性を抱えながら、避難させきれない入院患者と向き合う医師や看護師たち。とどまるべきか、逃げるべきか。責任感と自分の家族を守りたいという心情が交錯する。関係者の思いと、南相馬が孤立無援状態に陥っていく様子が克明に描かれる。冷静さを失わない洞察で事態の深刻さがあらためて浮かび上がる。
脳外科医として、名古屋市の社会保険病院から2011年3月末までの任期で南相馬に派遣されていた著者は、4月に名古屋に戻った。被災地への思いは今も強い。震災後に生まれた息子を「そうま」と名付けたことが、それを端的に物語る。