郷土の偉人をもっと知る
来たる5月2日(水)の夕方から、藤枝市の静岡産業大学藤枝駅前キャンパス(BiVi藤枝1F)で行われる『郷土の偉人・今井信郎をもっと知る』という講演会の第2幕の〝歴史演談〟『動読で今井信郎を演じる』に、ウチの悠司が急きょ出演することになりました!!
〝歴史演談〟とは…専用の劇場や稽古場を拠点として、俳優、舞台技術・制作スタッフが活動を行う日本で初めての公立文化事業集団「静岡県舞台芸術センター(SPAC)」が、地域に伝わる歴史物語を分かりやすく『動読』(動きのある朗読)と『解説』、そして臨場感あふれる音楽で紹介する新機軸の演劇です。
昨年12月に、坂部区民センターで行われた『侍たちの茶摘み唄』(主催:坂部まちづくり実行委員会)での悠司の熱演を評価してくださったSPACの誇る動読界の看板俳優・奥野晃士(あきひと)さん(49)のご指名で、再び郷土の偉人を熱く紹介する大舞台に立たせていただけることになりました。
浪人中の本人は大興奮&大張り切り!! 1人でも多くのみなさまのご来場をお待ちしております!!
お問い合わせ・お申し込みはSBS学苑藤枝校(054・644・5103)まで。。どうかよろしくお願いいたします!
※悠司からの依頼により、この場でPRさせていただきました!(笑)
◆今井 信郎(いまい・のぶお) 1841年(天保12)11月14日、江戸・本郷湯島 生まれ。10歳で元服して為忠と名乗り、湯島聖堂に出仕。和漢の道や絵画などを学ぶ。安政5年(1858)、直心影流・榊原鍵吉の門下に入り、20歳で免許皆伝、講武所師範代を拝命した。また、「片手打ち」という独自の剣法を編み出した。
23歳で遊撃隊頭取として京都に赴き、佐々木只三郎の京都見廻組に参加し、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺に関与する。鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、江戸に戻ると、幕府陸軍の訓練を担当していた古屋佐久左衛門と共に、脱走した幕府歩兵の鎮撫に当たり、後に組織された衝鋒隊の副隊長となり、戊辰戦争においては最後の箱館戦争まで戦い抜いた。
明治3年(1870)、箱館で降伏。囚われの身となっていた際に近江屋事件の糾問を受け、坂本龍馬暗殺に関わったと自供し、裁判により禁固刑となったが、明治5年に特赦で釈放された。明治10年(1877)に榛原郡初倉村(現島田市)に移住。茶農のかたわら、明治22年(1889)に初倉村の村議、同39年(1906)に、第4代村長を務める。
政治家としては、当初キリスト教を敵視し。布教に訪れていた宣教師を暗殺しようとしていたが、横浜の横浜海岸教会でその教義を知り、感銘を受けて信者となり、洗礼を受ける。後半生はクリスチャンとして矯風事業に貢献した。また、同じクリスチャンである坂本直が主宰した龍馬の法要にも出席した。自由民権運動に関わり、「三養社」という政治結社を設立するも後に 解散。 この時に残った基金が榛原高校の前身である堰南(えんなん)学校の設立(1900年)の原資となった。
大正5年(1916)に脳卒中で倒れ、2年間の闘病生活の後に死去。享年76。