特別な年の戦没者追悼式
『令和4年度牧之原市戦没者追悼式』に地元県議として出席しました。4歳で御尊父を亡くされた静波区の元校長先生の石神斉さん(83)が幼少期からの家族の人生を振り返った『後世に伝えたい牧之原市のはなし』という体験記の御披露に、胸が詰まるほど感銘しました。
それに先立つ式典では、杉本市長の式辞に続き、来賓のみなさまが『追悼のことば』を慰霊碑に向けて読み上げたのですが…末席の私は最後の6番目でしたので…「通り一辺倒の話の朗読だと、きっと全然伝わらないなあ~」と思ったので、昨夜必死に考えた独自の文章を、気合を込めて読ませていただきました。
以下が、私の『追悼のことば』です。
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【追悼のことば】
本日ここに、「令和四年度牧之原市戦没者追悼式」が厳粛に執り行われることに際し、地元県議会議員として、先の大戦で亡くなられたすべての御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
という書き出しの定型の追悼文が、戦後七十七年間、全国の式典で何万回、何十万回と繰り返されてきたことでしょう。
しかし、今年はその先が違います。今年の追悼式典は特別です。ロシアによる二月からのウクライナ侵攻により、ヨーロッパはもとより、全世界における破滅的な第三次世界大戦の可能性は、これまでとは比較にならないほど高まっています。
先の大戦から、どれだけ歳月は流れても、なお癒されることのない、ご遺族の深い悲しみと追慕の気持ちに思いをいたす時、万感胸に迫るものがございます。
しかしながら、今やその戦争の惨状を知る方々が、ほとんどいらっしゃらなくなった二十一世紀のこの時代において、世界中の誰もがはっきりと見える形で、残虐で理不尽な恐ろしい戦争が、再び始まってしまったという現実に、戦争を知らなかった平和な日本人、そして地域を代表する政治家の一人として、本日は深い憂慮の思いを吐露せざるを得ません。
私たち戦後世代が享受してきた平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれてきました。だからこそ、もう二度と同じ過ちを繰り返してはなりません。それでも、どんなにわれわれが平和と不戦を望んでいても、一部の利己的で民主的とは言えない国々によって、いつでも恐ろしい最終戦争は起こりうるのだという現実に胸が痛みます。
戦後七十七年という時の流れは、戦争体験者の数を減らし続け、現代を生きる日本人の心から戦争の悲惨さ、異常さといった大切な感覚を失わせていました。しかし、今回のウクライナでの戦争や世界各地で絶えることのない紛争のニュースに刮目し、今から我が国がどうやって国際社会で立ち回るべきかを、本日の追悼式を機に、私は真剣に考え抜きます。
みなさまとともに戦争を止められない人類の性(さが)と罪を認識し、理念を共有する国際社会と協調し、この先のわが国のあり方を、深く想起したいと思います。自分の息子や友人が戦地へ赴き、暴力と憎しみ、悲しみの連鎖の中に身を投げ出される悲しい歴史が、繰り返されてはなりません。
結びに、かつて戦火に倒れたすべての御英霊のご冥福を心からお祈り申し上げ、ご遺族、市民のみなさまには「絶対に戦争のない令和時代」の実現をお誓いし、私の追悼のことばといたします。
令和四年五月十六日 静岡県議会議員 大石健司
お昼のワイドスクランブルで、池上彰さんが、1968年に中南米の33カ国が締結した地域内の核兵器の開発や所有の禁止を定める『トラテロルコ条約』について解説していました。
当時から現代に至るまで、あれだけ軍事独裁政権や内戦の続いてきた…いわゆる〝危ない国〟ばかりだった中南米全体で、このような画期的な核不戦同盟が実現した経緯と意義を説明していました。
私は学生時代から、遊学や旅行や仕事で中南米33カ国のほとんどを訪れましたが、人種構成や民族や歴史、経済規模はもちろん、気候や地形、地下資源に特産物などすべて異なる(当たり前ですが…)広大な地域の大小の国々が、一致して〝非核兵器地帯〟を本当に実現させていることは信じられないほど素晴らしいことだと思っています。
そして、その中心に1948年から軍隊を持っていない小国コスタリカがいるという事実もうれしく思います。