林泉寺の長藤の物語
吉田町片岡の臨済宗の清涼山林泉寺に咲き誇る長藤の保存会の総会に、ご招待いただきました!!
松浦宣昭住職(78)の御父上の故・昌雄前住職が1967年(昭42)に、我が家から徒歩5分の牧之原市静波の東光寺の長藤の1枝を譲り受けて、境内の山藤に接ぎ木してから56年。ここまで見事に成長しました!
ご承知の通り、東光寺の長藤は、1915年(大4)に、釣学院の河内祥山和尚が、豊田(現磐田市)の行興寺にある樹齢850年と言われる『熊野(ゆや)の長藤』の枝を、境内の山藤に接ぎ木して育てたものです。
日本人を魅了し続ける美しい藤が、何十年何百年に渡って数えきれない方々の努力と協力で、各地に代々脈々と植えられて、大切に育てられ、今もこうして咲き誇っていることにただただ感動し、感謝するばかりです。
かつては、4月末からのGWが見ごろでしたが…地球温暖化で、年々時期が早まり、今年は今日が満開です!
ちなみに…この林泉寺は1900年(明33)、私の母校・県立榛原高校の前身である堰南(えんなん)学校が、本堂を仮校舎にして開校されたという縁もあります。
明治中期まで、榛南地方に中等教育の場のなかったことを問題視した吉田村出身で浜松中学の教員だった浅井熊太郎氏の熱意により、榛原郡で初(静岡県内5番目)の旧制中学校が設立されました。大堰川(=大井川)の南に位置するという意味で「堰南学校」と名付けられたのです。
この学校の設立資金を「龍馬を斬った男」今井信郎らが拠出したという話は、知る人ぞ知る史実です。詳しくは…⇒こちら!!
なお翌1901年に、川崎町(現牧之原市静波)に「榛原郡立榛原中学校」が設立されたことにより、吸収合併される形で堰南学校は廃止されました。
吉田町から20km南下して、牧之原市の地頭方海浜公園に急行しました。『食と活力の物産市~ビタミンマルシェ』が、活況を呈していました。
あたらめて言うまでもなく、ここは113年前に世界で初めてビタミンB1(オリザニン)を発見した鈴木梅太郎博士の故郷です。
美味しい食べ物、飲み物のブースが、いっぱいでした。楽しいステージも盛り上がっていました。
素晴らしい晴天でした。海上には雪をまとった美しい富士山が浮かんでいました! 都会のみなさん、遊びに来てください! 気に入ったら移住してください!!