平岡和夫さんとのお別れ
6月1日に急性心筋梗塞で亡くなった平岡和夫さん(享年83)の葬儀が、牧之原市の葬祭場でしめやかに行われました。亡き父の同級生として、半世紀以上に渡り大石家を支えてくれた大恩人の位牌を前に、弔辞を読ませていただきました。
弔辞
本日 親愛なる故平岡和夫様の御霊に対し 謹んで哀悼の誠を捧げ、お別れのご挨拶を申し上げます
平岡さん。私は突然の訃報に深い悲しみに打ちひしがれています 正直 今でも信じられません 静岡県では前例がない珍しい病を患いながら 持ち前の強靭な体力と不屈の精神力で 長時間の大手術を耐え抜いて翌日にはリハビリを開始 どんなに体中が痛くてもこれまで通り鎮痛剤は一切拒否 医師からは「1カ月は寝たきり」だと言われていたのに すぐに歩き始めて退院することになった…というご家族の話を聞き すっかり安心していました
最期に一目お会いできなかったことが 残念でなりません
強烈な個性と指導力 そして仁義に熱く男気あふれる平岡さんは 大石家にとって大恩人でした 七年前に他界した父哲司とは 幼馴染の同級生 まさに「刎頚之友」とも呼べる盟友でした 中学卒業と当時に都会に出て行った出戻りの父が 三十七歳の若さで榛原町議会議員に当選し 地方政治家の道を歩み始めることができたのも 商工会やソフトボール協会や観光協会の中で 人脈や実績を築くことができたのも すべて軍師でもあった「平岡さんの後押しや応援があったからだよ」と聞いています 父の遺した膨大な日記や手帳のいたるところに平岡さんの名前や発言が登場します
旧榛原町のスポーツ振興協議会の会長時には 町長だった父に「水はけの良い総合グランドが欲しい」と直訴して 今のぐりんぱるが出来ました ソフトボール協会会長としても 各種の大会の誘致に尽力され これまでに日本全国から毎回4000人 通算では何万人 何十万人もの選手 関係者が この町に訪れるようになりました
榛原町 そして牧之原市の観光協会会長 飲食組合会長 そして海の家・松風荘のオーナーとして長年にわたり全国各地を飛び回り 牧之原市の誇り白砂清松の海水浴場を全国にPRしてくださいました ちょうどこの時期は 海開き前の静波海岸の波打ち際に軽トラで乗り付けて、ゴミや小石を一人で黙々と拾い集めていたのも平岡さんでした
亡き父と同じく 長く故郷を留守にしていた私の今があるのも 平岡さんのお陰です 私に観光協会の「スーパーバイザー」の肩書をくださったり 私が持ち込んだ自転車イベントの主催を引き受けてくださったり…今の私を支えてくださる親友や支援者との縁をつないでくださったり どれだけ感謝しても足りません
「哲司さんには本当にお世話になったし 立派な政治家だった でもけんちゃんは まだ甘い 政治家じゃない 哲司さんの度量と寝技を見習って もっと頑張れ! 絶対に仁義を欠いちゃいけないよ」と言われた日のことを忘れません
毎年年末にパステルで気の置けない仲間を招いて 開催してくださった忘年会が楽しみでした 昨年末はコロナ禍もあったとはいえ「もうちょっと疲れた」とのことで 未開催だったことが残念でした
でも この春の選挙後の4月に 同志でパステルに伺った時には久しぶりにお会いできました 「何年ぶりかな?」とうれしそうに水割りを飲み 十八番の演歌を歌ってくださった姿が今も瞼に浮かびます
平岡さん お疲れさまでした 哲司さんは喜んで出迎えてくれましたか? これからは思う存分酒を酌み交わし 昔話に花を咲かせてください
本当にありがとうございました 心からご冥福をお祈りいたします