
静岡議会自民改革会議の『北方領土を考える議員連盟』の視察研修の最終日は…東京・台東区の『独立行政法人 北方領土問題対策協会(北対協)東京事務所』に伺いました。
日本政府の対ロシアの外交交渉を下支えし、全国に設置されている『北方領土返還要求運動県民会議』や『北方領土返還要求運動連絡評議会』をはじめとする民間団体と連携し、返還運動を次世代に着実に継承するための諸活動を行っている団体です。
コロナ禍とロシアのウクライナ侵攻により、この3年間は、ロシアが実行支配する北方四島とのいわゆる『ビザなし交流』や『日本人墓地への墓参り』は、中断してしまっていますが…
北方領土問題についての全国民の関心と返還要求の機運を高めるためには…政府や国会議員に対策をお任せするのではなく…われわれのような地方政治家も、ありとあらゆる機会と手段を使って、積極的に告知やアピールをしなければ…「いつまでたっても、四島は返って来ないなあ…」という思いを強くしました。
同協会が、特に若い世代の国民のみなさんに、領土問題に対して理解を求めるために作成したYouTube 動画をご覧ください!↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

夜帰宅して、この3日間で学んだ内容を、したり顔で妻子に説明していたら…歴史好きの次男が怪訝そうな顔をして「日本固有の領土である北方四島を、戦後のどさくさにまぎれてソ連が不法に占拠したこと自体は許せないことだけど…日本政府は、戦前から戦後のある時期までは、国後島と択捉島は〝千島列島〟だと認めていたし、1951年(昭26)のサンフランシスコ平和条約で、その千島と南樺太の「権利及び請求権」を放棄してしまったことも、この問題をややこしくしてしまったんじゃないの?」と言い出しました。
「お前さー! 人の話を聞いてなかったのかよ? 国後と択捉は千島列島じゃないんだよ!! この資料にしっかり書いてあるだろ!」と大声でたしなめると…以前、彼が家の中で発見して以来愛読している私の父の4つ上の姉が高校1年の時に買ったという署名がある『児童年鑑1950』(野ばら社発行)という73年前の名鑑を引っ張り出してきました。
「ほら! サンフランシスコ条約の前年に発行されたこの本の地図やデータをよく見れば、当時の日本が北方領土を日本領だと認識も主張もしていないことがわかるでしょ? 北海道の面積は『千島を除外している』と注釈して、国後と択捉の2島分が入っていない。ソ連がやったことは許せないけど、戦後の複雑な国際情勢の下で、日本の主張も一貫していなかったんだよね」
「……。」
本当だ!! 確かにそんな感じなのです。そういえば、私が子どもだったころも北方領土は、日本列島と同じ色では表記されていなかったです。。
ちなみに…2006年(平18)2月に、鈴木宗男衆院議員が同様の趣旨で、当時の河野洋平議長を通じて小泉純一郎首相に対して「千島列島の範囲に関する質問主意書」という質問状を提出していました。
一 昭和二十六年十月十九日の衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において衆議院議員高倉定助君が平和条約に規定された「クリル・アイランド、いわゆるクリル群島」の範囲に関して質問したのに対し、吉田茂総理は「多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲も決めておろうと思います」と答弁しているが、これは政府の立場を正確に反映したものか。
二 一の吉田茂総理の答弁に引き続き、西村熊雄外務省条約局長は「(サンフランシスコ平和)条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまったくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。
(中略)なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました」と答弁したが、この答弁は政府がこの時点においては国後島、択捉島がサンフランシスコ平和条約で放棄された千島列島に含まれるものと認識していたと解してよいか。
三 二の西村熊雄外務省条約局長の答弁は現時点での政府の立場を正確に反映しているか。反映していないとするならば、政府はどの時点で方針を転換したか。
小泉首相の答弁は以下の通りです。
日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「サンフランシスコ平和条約」という。)にいう千島列島とは、我が国がロシアとの間に結んだ千八百五十五年の日魯通好条約及び千八百七十五年の樺太・千島交換条約からも明らかなように、ウルップ島以北の島々を指すものであり、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島は含まれていない。
国後、択捉の両島につき「南千島」ないし「千島南部」と言及した例が見られることと、千島列島の範囲との関係について述べれば、例えば、昭和三十一年二月十一日の政府統一見解において、これらの両島が、樺太・千島交換条約に基づく交換の対象たる千島として取り扱われなかったこと、及びサンフランシスコ平和条約にいう千島列島に含まれないことを確認している。
結局…小泉政権以降に、わが国の北方領土の定義や認識が、現行のようにはっきりと定まったと考えるのが正しいのでしょう。。そういえば、昨日ご紹介したソ連軍の侵攻時の様子を長年、若者や旅行者に伝えてきた「語り部」の高岡唯一さんの所属する公益社団法人の名称は『千島歯舞諸島居住者連盟』でした。今の政府の解釈とは関係なく、元島民のみなさまにとっては、やっぱり国後と択捉は千島なのです。
息子との真面目な議論と調査で、千島問題についての理解と課題がさらにクリアになりました!! 過ぎ去ってしまった歳月は、もう戻ってきませんが…政府や政治家の使命や責任、言動の重さを改めて再確認でき、とても有意義な視察と振り返りでした。
しかし…「では、これからどうやって四島を奪還するのか??」という一番大切な命題の解決策が、パッと頭に浮かんで来ないのが、残念でなりません。


