北方領土の日
本日2月7日は『北方領土の日』でした。
1855年(安政2)2月7日、日本と帝政ロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され、択捉島とウルップ島の間に国境が確定されました。そして、それ以降も択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、1度も他国の領土となったことがない日本固有の領土です。
しかし、第2次大戦末期の1945年(昭20)8月9日、ソビエト連邦は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して、日本に一方的に参戦しました。
そして、その1週間後に日本がポツダム宣言を受諾し、連合軍に降伏の意図を明確に表明した後の同年8月28日から9月5日までの間に、ソ連は北方領土のすべてを占領。今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。
静岡県議会自民改革会議には『北方領土を考える議員連盟』(会長:杉山盛雄県議)があります。北海道議会以外で、同様の議員連盟がある都府県議会はありません。
本日は、昨年8月に北海道・羅臼町の『羅臼国後展望塔』でお会いして、79年前にソ連に不法占拠された北方領土での思い出を語ってくださった『千島歯舞諸島居住者連盟』の語り部・高岡唯一(ただいち)さん(88)から、Zoomで再び当時のお話と、今のお気持ちを伺う機会をいただきました。
歯舞群島の多楽島出身で、今では最高齢の語り部になった高岡さんが、10人兄姉の末っ子として多感な少年時代を送っていた当時の様子と10歳夏に突然、島に上陸してきたソ連兵たちが自宅に現れて、狼藉非道を働いた際の恐怖の体験を語る会。そして途中からは、羅臼町制作の字幕付きのDVDの上演会となりました。
もうすぐ89歳とは思えないほど矍鑠(かくしゃく)とした高岡さんは、会の冒頭「今朝6時35分、朝日とともに国後島がはっきり見えました。昨日からオホーツク海の流氷が根室に接岸し、懐かしい故郷と地続きになりました。私は、いつも目の前にある故郷に帰る日のことを夢見ています」と切々と無念の思いをお話しくださいました。
聴いている私たちも本当に悲しさ、悔しさ、そしてやり切れなさで、胸がいっぱいになりました。本日は、日本各地でイベントが開催されたようですが…マスコミの扱いもわずかですし、SNSでもほとんど話題に上っていませんよね? 北方領土に対する国民の関心は年々低下する一方だということが、肌感覚でわかります。
武力以外で固有の領土を取り戻すには、国際的な政治力や圧倒的な交渉力、経済力が不可欠だと思いますが…今のわが国の政界や財界を見渡しても、虚しさだけが募ります。とにかく、忘れないこと。。そして、子々孫々に伝え続けることが、何よりも大切だなと強く思いました。
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