散りぬべき時知りてこそ?
惜しかった!!
川勝平太知事(75)が10日、静岡県議会の中沢議長に辞職願を提出しました。その直前の午前9時、詰めかけた報道陣に心境を尋ねられ、笑みを浮かべながら…戦国時代末期に非業の死を遂げた細川忠興の正室ガラシャ(1563~1600)の辞世の句を、何だかうれしそうに披露しました。
散りぬべき 時知りてこそ
世の中の花も花なれ 人も人なれ
「散り時を知っているからこそ、世の中の桜は美しい。人もそうありたい」という意味の歌ですが…死を前にして「散り際の潔さ、大切さ」を見事に表現した有名な歌を、とんでもない差別発言で辞任に追い込まれた自身の境遇に重ねとは…。最期の最後まで、われわれ一般人の感覚とはかけ離れた御仁でしたね。
辞めるべき時をずっと見誤って、今日まで来てしまったことをちっとも自覚していなかったのです。
ちなみに…私は「桜の季節の終わりの辞職願提出だから、知事はきっと〝桜〟や〝散る〟に関係した故事や和歌を引用するだろう!」と想っていました。昨日の投稿で暗示したように…
散ればこそ いとど桜はめでたけれ
憂き世になにか久しかるべき
(散るからこそ、桜はすばらしい。無常の世で何が長く続くだろうか? 長く続くものなどありはしない)
…「あたりじゃないかな?」と予測していましたが…見事に、その遥か斜め上を行かれてしまいました!(笑)
◆細川ガラシャ 永禄6年(1563)~ 慶長5年7月17日(1600年8月25日)。戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。実名は「たま」(玉/珠)または玉子(たまこ)。法名は秀林院。カトリック教徒で、ガラシャとは、スペイン語で神の恩恵、魅力、気品、上品さなどを表す女性名の『Gracia』。夫の忠興がキリシタン大名の高山右近から聞いてきたカトリックの教義に興味を持ち、1580年代半ばに禅宗から改宗した。
慶長5年(1600)7月、関ケ原の戦いの前に、東軍の大将徳川家康の命で、忠興が上杉征伐に出陣。この隙に、西軍の石田三成は大坂の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶。翌日、三成が兵に屋敷を囲ませると…ガラシャは少し祈ってから、屋敷内の侍女・婦人を全員集めて外へ逃がした。キリスト教では自殺が禁じられているため、家老の小笠原秀清に介錯を頼んで昇天した。
川勝知事は、午後からの定例記者会見では、改めて辞任の最大の要因は「リニア問題に一区切りがついたから」だと強調。リニア中央新幹線について「早期開通に対して足を引っ張ったことは一度もない」と断言しました。
そして「(リニア中央新幹線は)1970年代からやってきて、日本の技術の最先端というかエキスが入っている。それに懸けて人生を終えたり、後輩に引き継いでいった人たちもいます。私はその思いも知っているし(自分が)推進派から外れたことはありません」と、これまでの「私は〝リニア大推進論者〟だ」との主張を繰り返しました。
と言いながら…返す刀で「「私にとってリニアの問題は厳しい問題でした。国家権力というか政府、それから大企業、営利企業とはいえ公共性を持っているということで国家事業と言っていますが、一方、南アルプスは国立公園で、これを保全するのは国策。ユネスコエコパークなので、これを保全するのは国際的な日本の責務だと思っています。こうした大義名分があり、地元の声も体に受けながら戦うのは厳しいものがありました。言ってみれば〝孤軍奮闘〟でした」と矛盾した自画自賛も止まりませんでした。
この往生際の悪い川勝知事の発言に、リニア推進期成同盟会会長である愛知県の大村知事は「大変残念な発言。リニアの早期建設を目指す期成同盟会に入っていたのに、我々をたばかったのか?と言わざるを得ない」と声を荒げました。牧之原市の杉本市長も、先週末「知事は問題発言で辞職するのに『リニアを10年遅らせたのは俺の手柄だ』と話をすり替えている。リニアをつぶすつもりでやっていたのか? だったら犯罪じゃないのか?」と痛烈に批判していました。