
下の投稿から、さらに5年の月日が過ぎ去った本日は、心身ともに絶不調。さっきの夜間避難訓練まで、何もする気が起きないまま…時の流れの儚さと、自分の非力を噛み締めていました。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
2021年3月11日
この10年は「あっという間だった」と思う一方で、自分を取り巻く「すべての環境が一変した」と実感する歳月でもあります。10年間で両親は亡くなり、私の立場も人生も変わりました。
2011年の3月11日は、父の決起集会の前日でした。その後の自分の3回の選挙の何倍もの支援者と来客でごった返していたプレハブ小屋が、尋常でないスケールで大きく上下左右に揺れました。
テレビをつけると各局大騒ぎ、約40分後には報道ヘリコプターからの津波来襲のライブ中継が始まって、生きている心地がしませんでした。
昭和50年代から東海大地震が予告され、大津波の襲来がささやかれる浜辺からたった1kmの海抜5mの家、原発から15㌔の町に住む者として、あの大惨事はとても人ごとには思えませんでした。翌日の集会は中止となりました。
4月上旬までの選挙の手伝いが一息つくと、後先も考えず妻子を説得し、たまりにたまっていた新聞社の公休と有給を使って、静岡県ボランティア協会の無給スタッフとして岩手に行きました。
支援物資倉庫の整理や津波で壊れた冷凍倉庫から流出した腐敗サンマの回収ボランティア隊員などを経験した後に、経験を買われてボランティア事務局の広報隊長に就任。筆舌に尽くしがたい被災地の現状、涙なしには聞けない被災者の体験談を写真とともに、自分の判断で好きなだけ伝え続けました。
2カ月間の災害テント暮らしを終えて、地元に帰る2日前、前線基地だった遠野市の駅近くの居酒屋で開催していただいた送別会で、うれしい事件が起こりました。
額に入れられた1995年11月の新聞の切り抜き。サッカー記者時代の私が書いた遠野生まれのスーパースター兄弟・GK菊池新吉、DF利三(ともにヴェルディ川崎=当時)の「兄弟Jリーグ制覇」の渾身の大原稿が、ユニフォームと一緒に店内に飾られていたのです。
「これは奇跡ですよ。奇跡! この店に1枚しか飾ってない新聞記事なんだから!」と興奮するマスターにせがまれ、額の裏にサインまで書くはめになりました。縁もゆかりもないと思っていた東北の地に、遠い昔の自分の記事を大切に飾っていてくれた人がいた。
岩手滞在の最後の最後に、訪れた不思議な出来事に胸がいっぱいになりました。見知らぬ者同士が、文章を通じて知り合い、飲んで語ってわかり合い、手を取り合って助け合える。人間っていいですね。
東日本大震災が、今の私の原点です。