
私の前職である『特定非営利活動(NPO)法人静岡県ボランティア協会』の神田均前理事長(現相談役)が、95歳でお亡くなりになり、本日22日、藤枝市の斎場で営まれた通夜に行ってきました。
1930年(昭5)4月生まれの神田さんは、県職員時代の1959年(昭34)から70年近くも〝福祉の道〟一筋に生き抜いた素晴らしい人格者でした。
1974(昭49)からの4年間に相次いだ、伊豆半島地震、南伊豆町大雨災害、河津地震、伊豆大島近海地震のすべてに、県の担当者として防災服姿で被災地に赴き、被災者支援の最前線で活躍されました。
同時期に静岡県の『福祉を育てる県民運動』の責任者として、ボランティア組織の育成支援を進め、1977年(昭52)の静岡県ボランティア協会の設立に尽力。県職を定年退職後は、ボラ協の『理事』『副理事長』『理事長』、そして『相談役』を、30年以上に渡って〝無給〟で勤め上げられました。
2011年の東日本大震災後のボランティア活動を機に、ボラ協職員として2年間働いた私が、県立榛原高校(旧制榛原中学)の35期下の後輩ということもあり、ずっと気にかけてくださり…藤枝市在住ながら、私の後援会にも入ってくださっていました。
昨年4月の95歳の誕生日以降も頭脳明晰、記憶力も抜群で「8回目の年男を楽しみたい。人生最期まで読書をし、手紙を書き続けていくことが大事だと思っている」と、ずっと直筆のお手紙を私に送ってくださっていました。
今年の年明けから急に体調を崩し、徐々に食欲もなくなって…思いもよらない入院生活を送ることになってしまいました。「もう、どっこもなんともない!」と言いながらも、寄る年波には抗えず、自ら名付けた〝福祉人生の第4コーナー〟を95年11カ月で、見事に完走されたのでした。
長年に渡り、多感な10代で経験した太平洋戦争時の昔話や反戦への強い誓い、そしてウクライナ戦争に対する憤りまでを著書や講演、鉛筆書きの長文の手紙で私たちに伝えてくださった神田さんのご尊顔を見つめながら…
年明け以降、さらに拍車がかかった戦乱の世界情勢を「天国から、いったいどんな思いで見詰めていらっしゃるだろうか?」と虚しくなりました。