
うららかな春の陽光の本日6日、私が理事を務める公益財団法人培本塾の敷地内にある…今は使われていない榛の木会館の前庭で『勤労観音供養祭』が行われました。
今年も、塾所有のグラウンドでの練習前の母校・県立榛原高校野球部の新2、3年生部員のみなさん20人も参加してくれました。
今を去ること91年前の1935年(昭10)4月12日、当時15歳の旧制榛原中学4年生だった東萩間の藤野道雄さんが、勤労作業中に不慮の死を遂げました。
塾舎の建設現場で、仲間の生徒たちと一緒に山肌を切り崩す土木作業中に、突然崩れ落ちてきた大石が頭を直撃。直後に土砂にも埋もれて、ほとんど即死だったそうです。
培本塾は「勤労を通して人を創る」教育の道場として、翌年の1936年(昭11)1月25日に発足しました。
創設者だった旧制榛原中学校長の小田原勇氏は、殉死した藤野少年の尊い霊を慰めるため『勤労観音像』を建立。以来90年にも渡り、塾関係者は毎年4月の初めに慰霊祭を続けているのです。
藤野さんの死から51年後の1986年(昭61)の『培本塾創立50周年記念誌』に、同級生だった故・柴清次郎氏が、竹馬の友を偲んでこんな文章を寄せています。
「先の戦争で、国のため、東洋平和を祈って、幾百万の若者が死んでいったけれども、今日三千人の若者が中国に行き、日中の平和と親交が行われている。
このことこそが、戦争で死んでいった若者の霊に報いる唯一のものであると同じように、榛原高校の生徒が培本塾を教育の良き場として愛し、利用することが藤野君の霊に報いることになる。それでこそ、勤労観音が浮かばれる所以のものではないだろうか?」
1900年(明30)に創立され「至誠真剣」の校訓の下、榛南地域の高等教育や地域振興の中心だった榛原高校も、少子化と人口激減の世相の中で、遠からず隣の相良高校と再編・統合が決まっています。
卒業生の平田寺・竹中住職の読経に頭を垂れながら…91年の歳月が流れた令和の今が、在りし日の藤野少年や柴氏が願ったような平和で理想的な時代でなくなってしまったことを、空しく哀しく思いました。
式は滞りなく終わり、八木理事長と竹中住職が顔を上げたその時でした。突然、一陣の風が吹き抜けて、周囲のソメイヨシノから大量の花びらが吹雪のように舞い散りました!
SNSに…
「教えてください!(^-^ゞ
牧之原市静波区の龍眼山の裏山に広がる培本塾の敷地にある…今は廃れた榛(はん)の木会館の脇の用水路の周囲で、たくさんのカエルが鳴いていました!(; Д)゚ ゚
今朝の『勤労観音供養祭』の前も、最中も、終わってからも鳴いていました。カエルの種類もサイズもわからないので、どうにかして発見したかったのですが…できませんでした!(;´Д⊂)
昔から知っているアマガエルやヒキガエルの声でないのは、わかります。では、彼らはいったい何ガエルなんでしょう?(^^;))) 」
…と書いたら、詳しい方がコメントで教えてくれました!!(*^^)v
タゴガエルというアカガエルの仲間だそうです!!(*´ω`)